戦車+重装甲=最強! が過ぎると? ポルシェ博士と独裁者の異常な超重戦車「マウス」



科学技術分野における予算確保の難しさはよく耳にしますが、もし独裁者の後援のもと、知的好奇心のおもむくままに研究開発できるとしたら……夢のような環境でポルシェ博士が生み出したのは、前代未聞の重量を誇る巨大な「鉄塊」でした。

「マウス」誕生の経緯 戦車砲と装甲のシーソーゲームに終止符を!

独裁者ヒトラーと天才技術者ポルシェ博士のコラボで、最も成功したのが「フォルクスワーゲンタイプ1(いわゆる『ビートル』)」です。逆に暴走するととんでもないものを生み出します。それが重量188tの超重戦車「マウス」です。

2020年現在の主力戦車は最も重いもので約70tですが、動かすたびに道路や橋へダメージを与えるため行動範囲が限定され、このあたりが重量の限界とされています。「マウス」の188tという重量は歴史上、実際に製造された戦車のなかでは最も重いものです。そのような図体をしてどこが「マウス」(ねずみ)かとクレームが付きそうですが、命名の由来は、名称からスペックを想像されないようにした防諜策(スパイ対策)といわれています。

1941(昭和16)年6月に独ソ戦が始まると、ドイツ軍はソ連軍の重戦車に手を焼くようになり、その重装甲に対抗しようと戦車砲も大きくなります。砲と装甲の、いわゆる盾と矛のシーソーゲームです。11月ヒトラーは、このシーソーゲームの決着を一挙につけるべく、究極の超重戦車をつくろうポルシェ博士に打診します。まだドイツ軍が劣勢になる前ですが、すでに危機感を持っていたようです。

独裁者の直観と技術者の性から超重戦車誕生

当時すでに、技術的にも戦車の重量は70tまでが限界と言われていたものを、ヒトラーは大口径砲を搭載し重装甲を施した、120t級の戦車を構想します。このような超重戦車は突飛ではありますが、良いか悪いかは別にして常識に囚われないヒトラーなりの直観が働いたともいえます。

その意を受けて、ポルシェ博士は突っ走ります。こうした常識を覆す新技術や新しいものにチャレンジしたがるのは、技術者の性なのでしょうか。砲塔に150mmと75mm戦車砲を同軸装備し、正面装甲は200mm、駆動系にはポルシェティーガーエレファント駆逐戦車で実績があり、複雑なトランスミッションが不要というポルシェ博士得意のエンジンと発電機、電動モーターを組み合わせたハイブリット方式という、超重戦車を提案します。

この常識を外れた提案に、ナチス政権内でも反対する声はありました。ポルシェ博士は、政治には無関心でナチス党員でもありませんでしたが、ヒトラーポルシェ博士の才能を高く買っており、この超重戦車「マウス」はヒトラーの認可を受け開発が始まります。

すでに無理が見える? 超重戦車「マウス」の「カタログスペック」

実際に「マウス」試作車として形になったのは2両で、試作2号車の武装には主砲128mm、副砲75mm、7.92mm機銃を三連装にして装備します。装甲厚は最大で砲塔前面220mmから240mm、最も薄い底面でも60mmという重装甲です。機動力は整地でも最高速度20km/h、航続距離186kmとされていました。

カタログスペックだけ見れば超重戦車にふさわしい迫力です。主砲128mmといえば巡洋艦の主砲並みで、当時のいかなる連合軍戦車でも、3000m以上の距離から正面装甲を貫ける威力があります。

重量は当初の構想より重い188tに達し、もはや戦車というより動けるトーチカといった構造物で、あらゆる面で戦車とは違う運用が必要でした。走れる場所は極めて限られ、橋を渡ることなど不可能でした。

しかし、ポルシェ博士に抜かりはありません。車体は水密構造とし、岸に置いた別の「マウス」または発電機とケーブルで接続し、外部からの電力供給でモーターを駆動させて潜水渡河するという方法を考えます。水深8mまで潜水できたといわれますが、しかしとても実用性があるとは思えず、机上構想の暴走ぶりを示す一例です。

実際に作ってみたら案の定…その後の「マウス」

2台の試作車はドイツ陸軍のクーマンスドルフ車輌試験場で実施された試験に臨みますが、案の定、期待されたような性能は発揮できません。何とかものにしようと、さらに突っ走るのも技術者の性でしょうか、色々いじくりまわしたポルシェ博士でしたが、そのあいだにドイツはどんどん劣勢となります。貴重な資源を浪費することができなくなり、さすがのヒトラーも「マウス」の開発放棄を、1944(昭和19)年11月1日に決定します。

試作車はクーマンスドルフの倉庫でほこりをかぶっていましたが、いよいよソ連軍が迫ってくると、試作車と製造途中で放棄されていたパーツ類を組み合わせて何とか再稼働させ、1945(昭和20)年4月、ベルリン防衛戦に引っ張り出されます。しかし128mm砲は火を吐くことも無く、機関系の故障で戦わずして放棄され、ソ連軍に鹵獲されます。ソ連に移送後の情報は無く、そのまま長年、幻の超重戦車となっていました。

1980年代後半、ソ連のグラスノスチ(情報公開)により流れた、モスクワ郊外のクビンカ戦車博物館に「マウス」が現存しているとのニュースは、西側軍事筋を驚かせました。1994(平成6)年発行の、同博物館の展示品年鑑では最後のページに記載されています。2020年現在もクビンカ戦車博物館に保管展示されており、だれでも見ることができます。

最も成功した大衆車といわれる「フォルクスワーゲンビートル」を生んだのと同じ独裁者と天才技術者コラボが、ベクトルの方向を間違えるとこんなにも成果物が変わるのかと、興味深いものがあります。

ドイツ陸軍のクーマンススドルフ車輌試験場でテストされる完成直後の「マウス」試作2号車(画像:帝国戦争博物館/IWM)。


(出典 news.nicovideo.jp)